教授と久々に顔を合わせた。相変わらずすごい笑顔で出迎えてくれた。
なんと、来年の3月で定年退職するらしい。
そして右肩の傷跡の状態をよく観察して、
今日でもう病院に来なくていいと診断された。
心療内科、皮膚科、形成外科と通っていたが、その一つが終わろうとしてる。
この通い慣れた病院とも今日でお別れと思うと
何か不思議で複雑な思いだけど、心の中ですーっとすっきりした。
心療内科は一生付き合わないといけないけど、
次は皮膚の状態が良くなればいいと思う。
ティッシューエキスパンダー法で伸ばした皮膚は白いけど、
皮膚移植した所は今も真っ赤で赤黒いとこもあり、お腹には一筋の傷が入った。
担当医の方の粋な計らいにより教授が今日、退院する前に診察してくれた。
皮膚移植した所は今は欠落してたり、赤かったり赤黒かったり目立つけど、
教授が指でぐっと、右肩の皮膚移植の部分をところどころ押さえた。
すると、押さえた所がじわわんと白くなって赤く戻った。
押さえて白くなるところは数カ月、数年かけたら将来的に白くなるらしい。
それを聞いて、自分の心の中を見透かされたようでビックリした。
それと同時に心のどこかの線が緩んで嬉しくなった。
一生、背負おうとしていた傷跡が時間がかかろうが、
傷跡が目立たなくなるという希望が出てきて嬉しくなったのだ。
初めは俺は黒い毛の生えた痣が手術をすれば真っ白になると思っていた。
でも、そうじゃないと知って、覚悟を決めた時もあったけど不安な時もあった。
病理検査の結果、俺の痣に癌細胞はなかった。つまり転移もない。
そう、それが傷跡云々いう前に大切な事だと言うのに・・・
心中まだどんな傷跡だろうが一生傷跡が残るという覚悟を決めかねていたのかもしれない。
そんな気持ちを見透かされたようでビックリした。
教授はにっこりと笑いながら、大丈夫。順調だよと言ってくれた。
そして俺のお腹を真剣に見つめながら、何を言うと思ったら・・・
君…入院中に肥えた?
きっと教授は今まで右肩に集中しすぎて俺のお腹見てなかったんだろう。
そうです。僕はメタボなんですよ。って返答したけどw
あまりに不意打ちすぎて、診察室にいる全員が爆笑してしまった。
俺もオカンもこの教授と担当医の方に本当に心から感謝している。
病院では先日、記事で書いたように「命のやりとり」をしている人がいる。
そういう人達がいる事を忘れちゃいけない。
自分はただの傷跡がひどいか良いかの覚悟でめげそうになった。
人間とは本当に弱い人間なんだなと感じる。
でも希望という力は時に奇跡を呼ぶ。
何回も手術をして、死の淵から這い上がる人達もいる。
だから俺も自分自身、強く気持ちを持ち、これからどういう傷跡が残ろうが
この神様がくれた「俺の印」を大事にしようと思う。
傷跡を見て嫌になる時もあるだろう。
それとも、大きい心で傷跡が治っていくのを楽しみにしていくのもいいだろう。
この傷跡を見て、その度に手術で得た経験と出会いを何度も思い出していこうと思う。
今日は教授の回診日だった。
教授の回診というのは本当に凄いものだ。
たくさんの医師達を引き連れて、病室を回る。
担当医の方とオカンと話し合って、7月12日に退院する事が決まった。
退院後はしばらく週一回、通院しなければならないらしい。
家での治療はシャワー後に右肩の皮膚の欠落部分に軟膏を塗って、
上にピタっとエスアイエイドを貼って、ガーゼをする。
右肩の切り傷には上からスポンジをして皮膚が膨れ上がるの防ぐ。
お腹の切り傷にはテープを張り付けて、傷口が開かないようにする。
お腹はとにかく体を動かせば動く部分なので、しばらくは抜糸しても
テープを張り付けて、少し固定しなければならないらしい。
担当医の方がオカンに順序良く教えてくれた。
本当にお世話になりっぱなしだ。感謝の気持ちでいっぱいだ。
とにかく峠は乗り越えたのだ。
今日の担当医の方の診察結果。
右肩の一部の緑色の部分はひょっとして瘡蓋で綺麗にとれる可能性が出た。
担当医の方が緑色の部分をピンセットで丁寧に一枚一枚、剥いでくれた。
すると、緑色の所が少しずつとれていく。すごく良い兆候だ。
そして、もう一度皮膚移植の手術をしてお腹に傷をつけるのは嫌だし
手術後の事を考えると、尿道チューブとかトイレ我慢とか辛いので、
退院して通院しながら長い時間かけてじっくり自然治癒する事に決めました。
これからの治療法は
傷口に軟膏塗りながら、真皮が出るのをまち、
また軟膏についた汚れを流すためシャワーをして傷口を洗って
とれそうな瘡蓋はとっての繰り返しだ。
また一つ、一生モノという言葉に打ち勝った。
実は内心、神様(運)に見放された自分に嘆いていた。
でもやっぱ神様というのはどこかにいるのかもしれない。
いや先祖様かもしれない。とにかく、今は感謝しよう。
今日は月曜日なので教授の診察だと思っていたら、担当医の方が診てくれた。
教授に診てもらうために俺とオカンは色々と質問を用意していたが、
担当医の方曰く、入院中に教授に診てもらう時は危ない時や特別な時(退院等)らしい。
何も異常がなければ担当医の方が診てくれるらしい。それを聞いてなんだか少し安心した。
今考えてみると、壊死しかけた時はやばかったらしい。
担当医に緑色や赤黒く変色した皮膚の部分はどうなるか率直に聞いてみた。
緑色のところは色素沈着といって、ひょっとしてこれから残るかもしれないらしい。
もしそれが瘡蓋(かさぶた)だったらこれから新しい皮膚が形成されてとれるかも。
赤黒いところは皮膚がくっつき始めたところか瘡蓋らしい。
どんな傷跡でも受け入れると覚悟していたのに、
緑色の部分が一生残るかもしれないと言われた途端、
現実を「受け入れる」と「拒絶」が心の中で葛藤した。
どんな傷でも受け入れるという覚悟はどんどん崩れ去った。
人間とは「一生〜否定形」という事実に弱いものだ。
いや、人間じゃなく俺自身がそうなのかもしれない。
でもこの事実だけは時間をかけてでも甘受しなければならない。
それか最後まで諦めず、神頼みでも何でも大逆転のチャンスを待つか。
その狭間の中で人は生き続けるのだろう。
そうした一つ一つの試練や選択によって成長していくのだろう。
/ 1/4PAGES / >>