My Potential

〜ぶち当たり生活〜
蘇生。
最近、勉強をしている時によく思い出すことがある。
夢もよく見るようになった。
ふと我に返り、ニヤっとなる。


昔もこういう感覚あったな。。必死に勉強に取り組んでたな。。
あん時は色々と恵まれたなー。友達と必死に頑張ったなぁ。
今は図書館で一人きりで頑張ってるけれど、
何かそんなことを思い出すと勉強がおもしろくなってきた。



高校受験の時は、勉強は辛かったけど、何か楽しかった思い出がいっぱい。
受験前は、必死に皆で日が変わるまで塾の先生をひっぱり凧にして質問したなぁ。
高野山に合宿に行ったときはホンマによう頑張ってたよなぁー。
辛い事も共有できたから、楽しかったんだろうなぁ。



なんか、自分がふと今、勉強している姿を昔の勉強している俺の姿と合わせた時、
昔には戻れないんだけど、中学生の自分になった気持ちになる。
毎日、落ち着いて淡々と問題集を解く日々。
そんな感覚が蘇ってきた。
『勉強って難しいけど、たいへんだけど、やりがいがある。』
昔も俺頑張ってたんだなってうれしくもなるし、
何か失っていたものを忘れてしまってまた手に入れた感じで、




神様はこれを気づかせてくれたかもしれない。
あの時、途中で諦めたこと。
最後まで自分を信じれなかったこと。


昔と今とでは全く環境もしている事も違うけれど、
奥底の気持ちが自分の心を今、共鳴させる。

何か心の底から熱い感情が湧き出てくる。

あの時、達成できなかった分、後悔した分、
昔の自分に今の自分がちゃんとした形で救ってやらなきゃいけない。


あの時以上、頑張ってやる。








| しみじみ | 13:25 | comments(2) | trackbacks(0)
人生ゲームに勝つ方法。
確かに人間関係や真新しい経験など自分にとっては大切なことがたくさんあるが、
自分に勝ち負けを判断する道具として『学校での成績』ほど素直なものはない。

勉強っていったら、そりゃーたまに嫌なこともあるけど、
やはり、大事な事を疎かにすると、自分自身に正直になり、不安になる。


この感じ 何かに似ていないか?


そう、それは、ゲームのキャラを育てる時に、他のキャラに抜かされたくないので、
意地でも勝とうとする葛藤の現れなのだ。




誰もが言うと思うが、勉強はRPGゲームと似た要素を持ち合わしている。
しかし、勉強は続けられないがゲームは続けられる。





何が違うか?





勉強とゲームの違いは楽しむ方法を知ってるか知っていないかだと思う。




RPGゲームも何度も何度も経験地を得るために繰り返し敵を倒していかなければならない。
同じ敵にマンネリ化して、たまに飽きることがある。
でも、倒さないとLVが上がらないからと思い立ち、
ストレスが溜まっても嫌でもゲームする時がある。
違う敵を倒したり、経験地を得るイベントをクリアしたりと、
そうしているうちに自分が強くなっていく過程がおもしろいのである。



勉強はある意味、本当のリアルRPGである。
同じ方法ではマンネリ化していく。効率いい方法を探していき、
たまには持続力も必要である。辛い時ももちろんある。それでも向わなければいけない。
ひょっとしたら勉強でも徹夜とかしまくっていけるようになったら効率云々抜きで
最強になれるかもしれない。最終的に俺のラスボスは兄貴達になるだろうw
なかなかの強敵や。成長をとどめることを知らんからなw
俺はそれ以上にLV上げの効率を学ばなければいけない。
そうなるとなんかおもしろくなってくる。




人生にはリセットボタンとかキャラチェンジはないけれど、
だから人生に完璧なんてない。自分を完璧なキャラに仕立てるなんてできない。
でも、完璧に近づくことはできる。
ゲームはもしもスキルのタイミングの割り振りを間違えれば、
最強にはなれない場合がある。
でも、人生はそのチャンスをたくさん与えてくれる。
ある意味、人生はその辺のRPGゲームより簡単かもしれない。
人生をリアルゲームにしてしまえばいい。楽しめばいい。






話はうってかわり、今、思い返してみると、それぞれに自分への挑戦があったけれども、
勉強することが今の俺にとっては真の己との戦である事は間違いないだろう。
ここで負けることは自分に負ける事。
人と比べる前に自分に負けていては競争する舞台にすら立ててはいない。
まず自分に勝たなければいけない。



今の俺にとって、成績だけが自分の正確な位置を把握することができる。
今の俺にとって、良い成績をとることは己の限界を乗り越えることである。
| 大切な事 | 11:14 | comments(0) | trackbacks(0)
自分からは逃げられない。
今、現実におかれている状況の自分からは逃げられない。
確かに、様々な観点から自分を評価することはできるけれども
それぞれ見た視点からの評価は事実なのだ。
それをちゃんと受け止めなければならない。改善していかなければならない。
人間って面白い。例え、今、逃れていたとしても、
自分に信念があれば、必ず通るしかないのである。
早かれ遅かれ苦しみもがかなければならない。
目を逸らしたら、致命傷を負うだろう。
夢がある限り、結局は自分からは逃げられないのだ。
小さな傷を作りながら正面を突っ切り立ち向かわなければならない。


夢を持たなくなったとき、どんよりした闇の中に包み込まれるだろう。
疲れた時に、確かにそこはぐっすり眠れる。ぐっすりと。
起きた時に気がつく。何も見えないと。そして迷うだろう。

| 日記 | 12:44 | comments(0) | trackbacks(0)
今のイジメの感覚。
最近、いじめが原因で、小中高生が不登校になったり、自殺するなり自殺予告してみたり、
人を殺すなり、社会を騒がせていますが、
今の一般的な日本の学校生活で何が起こっているのか、大人達からしてみたら
心配でたまりません。
多分、大人の感覚と子供の感覚が徐々に違ってきたのでしょう。
子供を育てるのは周りの環境だと俺は思います。

俺の場合は、小学生〜高校生までの頃、
確かに周りでイジメが起こったり、自分が経験したこともありました。
周りで起こっていても、俺は助けなかった気がします。何もしなかった。
多分、小学生の頃は、自分もいじめられるっと思っていたからかなー。
そうして見過ごしていくうちに、高校時代にいじめられましたとも(笑
幸い、自分のケースは自分自身悪かった原因わかっていたし、
家族に素直に相談できたことがよかったかな。。(とても恥ずかしかったけど)
おかげさまで、家ではすごい居心地がよかったですね。


『いじめられる』っという事は何か恥ずかしい衝動に駆られるんですよね。
いじめられる側に確かに何か原因があるんだと思います。
でもそれを認めるっていうか、社会がそれに敏感なのが恥ずしくさせるんだと思います。
『イジメは絶対いけないこと。』
でも、具体的に解決策をいってくれない。まぁー原因は人それぞれによって違うから
メディアも解決策を一つ一つ言えないんでしょうけども。。。
特に、最近はメディアでなく親も地域の集会でもすごい敏感だと思うんですね。
っとなると実際にいじめられても家族や友達に言いにくいですよ。
いじめられている時は、タダでさえネガティブになりやすいのに、
10代も満たない子や10代半ばの子がポジティブに考えることなんてできないでしょう。
イジメが増えるという原因は逆にメディアなど身の回りの環境が作りだしているのかも
しれません。

あと、いじめがごく一般化にされてきたのが原因かもしれません。
今の小中学生の学生生活はイメージできないけど、
昔は少なくとも、いじめる側も少しは罪意識が何らか感じていたに違いありません。
高校時代、ある日がキッカケで、俺はいじめられなくなりました。
まぁー学校ではかなり寂しい思いしましたけど、友達の質も良くなり、
少しずつまた友達もできました。

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学年で目立った奴らの大半に徹底的にいじめられ
これからの学校生活とか色々心配したけど、それでも当時の状況が俺には
許せなかったんで、色々な事を覚悟してある日、見下してやったんですよ。
『お前らみたいなクズにどんな事されようが、何も感じなくなった。ごめん』
まぁーそれから色々とされたけど、
今までとは違い 決意も堅かったんで全くもって、相手にしませんでした。
それ以来、何もしてきませんでした。まぁークラスの仲間はずれになったけどw
でも、徐々に心が優しい人たちは俺の状況を理解してくれて
クラスの仲間はずれだったけど、ちゃんと俺に何があったのかとか言わずに理解してくれ
一緒にすごしたり、他のクラスの仲間もまた言わずに理解してくれました。
なんか嬉しかったね。俺って間違ったことしてなかったんやなって思って。


高校二年の時にいじめられたんですけど、
その時、高校生活を全部捨てる勢いで高三を臨んでしまったから
(っていうのは、学年の目立ったやつらって高校で好き放題じゃないすか?
まぁーその点で諦めてたわけですよw)
ぶっちゃけ多分、高校三年になってから、別にそんなに皆気にしてないのに
俺自身が変にこだわって、まだ皆を信じれなくて、オープンになれなかった。
もっと自分自身オープンになれれば、もっと色々な友達が出来たと思うのに、
自分からそういうチャンスを捨てた気がします。
高校三年のメンバは本当に最高だったけど、俺は自分自身で台無しにしたようなもんやから。
その点ちょっと後悔してるかな。

もっと恋したかったのにな〜〜〜(そこかっ!!w

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俺はあいつらの気持ちよくわからないけど、俺をいじめていた時、多少は罪悪感があったんだと思う。だから、何もしてこなくなったと思うんだけど。。。
今の子供達は、いじめている時、罪悪感を感じてるのかが不安に近頃思います。
いじめが一種のゲーム化しているようで気が気でありません。
このままでは人の心を理解せず、
自分の快感を欲求する人間ばかり成長するような気がします。
いじめられる人達は命についてちゃんと考えてるんだけど、
それでも抑えきれない凄惨な気持ちが彼らを決断に迫ると思います。

何とも悲しいことですね。






| 日記 | 04:12 | comments(0) | trackbacks(0)
過去の差
偉人の過去はどんな経験もかっこいいが、
落ちこぼれの過去は落ちこぼれ。

過去を敬称するために 偉くなれっ!!
| 戯言 | 08:29 | comments(0) | trackbacks(0)
忍耐力。



この現代社会を生きていく中で最も大切なものが何事に対してもめげない力だと思います。
現代社会はとてもストレスが溜まり易い社会だと誰もが気づくことのできる社会であって、勝ち組、負け組みなどはっきり二色にわかれ判断ができることができて、
そんな社会の中では何度も失敗して傷つき、嫌になり自分に自信を失うこともあるでしょう。
自分の不安がつのり、傷つくを恐れ、何もできなくなってしまうと、
行き詰まり、先に希望を見出すことができなくなる。
それでも、自分に自信をつけるには、何度も傷つくことが必要であって、
傷ついた分だけ、成長していけるのだと思います。
これからの社会を愉しんでいくためも
何度も傷ついても必ず起き上がる忍耐力が必要になってくるんじゃないかな。。。
いや 絶対そうなんだよね。






| 大切な事 | 14:08 | comments(0) | trackbacks(0)

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