今年で22歳になる。
うちのCollegeにも高校に卒業したばかりや休学して来る何人かの日本人の後輩達がやってきた。
彼ら彼女らは初々しい。色々と希望もあるのだろう。そして不安もあるのだろう。
俺もカナダに来たばかりのころはこんな感じだったのだろうか。
あの時は可愛いって言われるのに違和感があったけど、
そう言いたくなる気持ちがわかる。
精一杯、自分のできることはしてあげようと思う。
でも確実にいえる事は俺よりも可能性が彼ら彼女らにはあるのだ。
そう思うと今まで自分なりに一生懸命、生きてきたけど、恨めしく思う。
もちろん俺には後輩達にはない経験があるのだけれども、
俺にはもう取り戻せない二年、三年は彼ら彼女らにはある。
もう一度、この二、三年間の苦労を味わいたいと言えば、別の話だが(笑
後悔ではなくて、もっといい方法があったかもしれない。
でも、どんな道を選んでもそういう気持ちは残るんだろうね。
少なくとも、この二、三年間、後悔できないくらい苦労をいっぱいしといてよかった。
まぁーもちろんいくつかは取り越し苦労かもしれないけど。。。。
やはり色々と苦労することに慣れておいたほうがいいと感じた。
だから、これからも楽な道を選ぶよりも苦労する道を選んでいこうと思う。
もちろんその時は辛いけど、辛い分、何か得るものはあると思う。
そして割り切れるようになる。
取り戻せない何かを割り切り、前を向いてこそ次へ進めるんだろう。
最近、自分の中でひっかかっていた何かがわかった。
それは積み重なる年齢の焦りと冷静さが交わりあった感じ。
日本にいる友達とか日本人の俺からすれば、
やはり『22歳』というのは一般的に、
大学を卒業して、就職するか院に進むかそういう選択があるのだ。
しかし、結果を見れば、俺はまだ大学一年生になった状態から動き出せていない。
そして、もちろん家族も心配しだす。
最終的に、まだ結果に出せない自分に焦りがある。
親にまだ金を出してもらってる自分に焦りがある。
俺って負け犬かなって感じるときももちろんある。
でも、カナダにいると、誰もが思うだろうが『年齢は関係ない』という概念に囚われる。
焦ったところで何ができる? 今まで自分にとって必要じゃなかったステップなの?
今は自分のできることを確実にして、後から返せばいい。仕方ないことだよ。
こっちにいるカナダ人やホストファミリーや教授達は
何をするにもまだまだ若いといってくれる。これからだと。。。
日本で生まれ育った俺からすれば、やはり焦るものだ。
でも、カナダで得た経験を元にすると確かに『年齢に囚われる生活は醜い。』
40歳の人でも真剣に日本に留学しようと思い立ち挑戦している人がいるのだ。
50歳の人でも教授に今からなろうと必死にマスターを取っている。
そんな人たちの横で若い力が欲しいなんていえない。
そんな人たちは自分達はまだまだいけると思っているのだ。
そういう生き方ってとても素晴らしいって思った。
なんか人生楽しんでるなって。
ただ、年齢を忘れることはいけないけれど、
俺は周りの目や常識に囚われすぎなのかもしれない。
自分の人生だから、せっかくだから
誰もがビックリするような俺にしかできない人生にしてやろうと思った。