今年はいつ治るかわからない病気と闘病してから二年目の年だった。
正直、何か進歩したか?っと聞かれたら何も進歩していない気がする。
微笑ましいニュースはまず
今年は元旦そうそうに姪が生まれた。
来年の元旦にまた会えるので、楽しみだ。
それから熱海旅行に三番目の兄貴の家族以外、皆 総出で参加した。
年々、甥や姪が増えていくという事は家族が増えるという事であって
旅行一つにしてもなかなかできないのが実質。
病気のせいで、高速道路に乗る事が苦手になった俺だけど、
車で熱海まで親父の運転で行く事ができた。
家族、全員でいれば怖いものなし。何でもできる気がする。
あと家族全員(三番目の兄貴達以外)で、
親父のキャンプ場にもキャンプをしにいくことができた。
これは俺がうんといえばいつでもオカンと親父でいけるのだが。。。
親父といけばいつも何か強制的に働かせられるので最近は拒み続けているw
今、思えば
今年はそんぐらいしか大きいイベントはなかったと思う。
今までの人生の中で二番目に充実していない年だった。
ちなみに去年が一番目に充実していない年だ。
今までが充実しすぎていたのだろうか。とても寂しい日々を暮らしてるような気がする。
逆にいえばちょっとずつ充実している日々を過ごしている。
前にも言ったかもしれないけど、
去年は、初めて自分でもどうしようもない挫折を味わった。
病気のせいで留学生活を強制的に止めざる終えなかったし、
それどころか将来さえ真っ暗になった。
親孝行するために必死に自立するために
留学してカナダで生計をたてようとしてた。
でも大学は結局、卒業もできず、
帰ってきてしまって今でもまだ親にお世話になってる。
人生というものは不公平なものだ。
必死に頑張り続けて積み立ててたものが一瞬で崩壊した。
それまでは一生懸命頑張れば必ず結果に残ると信じ続けた。
でも、結果は何も変わらなかった。
逆に失うものは全て失った。
カナダに留学する前はいつも中途半端な人間だった。
カナダに行って、それが何か変われると感じた瞬間だった。
でも、今でも中途半端な人間なようなものだ。
去年は今まで出来た事ができなくなって
どんどん自分の出来る事が制限されてきた。
その分、挫折を味わう事となった。
去年は挫折の一年だった。
今年は色々な事を考えた。
今思えば アレだけの事がありながら25年間
今こうして生きてる事だけでも俺は奇跡かもしれない。
毎日、生きるというだけでも幸せなのだ。
それを感じつつ、現実から目をそらした日々もあった。
何もできなくなってしまった自分に苛立ちを隠せない時もあった。
中学生の時に書いた25歳になった自分への手紙を読んだ。
中学生の時に想像していた自分とは悪い意味で想像もつかない今の自分に悔しかった。
でもまぁ世間的にみればまだ25歳なのかもしれない。
将来まだまだ何が起こるかわからない。
将来を見つめなおす事もできた。
言ってしまえば将来はどーにでもなるのだ。
多分、将来は今、何をするかによって決まってくるものだろう。
だから今が俺の人生の大事な分岐点かもしれない。
でもまぁ気長にのんびりやっていこうと思う。
来年は更にいい年にしてやろうと思う。
あわよくば病気を気にせず、色々な事ができるようになれたらいいなと思う。
皆さん いい年末を過ごしてください。
海外では一ヶ月ぐらい前から祝っていたクリスマス。
日本に帰ってきてからも、クリスマスという響きはなぜか俺をうれしくさせるものです。
ちょうど、約二年前から体調が悪くなり、嫌な思い出もありますが
今は宗教観抜きで、俺にとってはクリスマスは祝い事です。
日本人の宗教観は本当に独特ですよねw
二年前、俺はある事がきっかけで素直に自分もキリスト教徒になれると感じました。
でもそのある事を発端に次から次へと起こる出来事に対して
自分がキリスト教を殉じる不信感と期待感が混ざった矛盾した気持ちになりました。
最終的に今、俺は病気になり、日本にいます。
自分のしてきた事に後悔はありませんが、その結果がこうなったというならば
ひょっとしたら自分はキリスト教とは縁がなかったのかもしれません。
長い目でみてひょっとしたらこれこそが縁なのかもしれません。
病気になるまえは自分はイエス・キリストじゃなくて、
自分の先祖様または自分の信じる神様に守られてると思っていましたが、
俺の宗教観は今でも正直まだわかりません。
なぜなら神様を素直に信じただけで病気になってしまったのです。
だから本当に神様なんているのかななんて思ってます。
毎日、歯痒い日々を送ってると余計にですよね。。。
でも神様はいると思います。病気になる前まではちゃんと守ってくれてましたし。
だからとりあえず今でもたとえイエス・キリストが自分の神様じゃなくても、
クリスマスはひょっとしたら自分にとって大切な日なのかもしれないから
自分の中で祝いたいんです。
あと性格上、祝い事は祝いたいんでw
以前にも書きましたが、
クリスマスはイエス・キリストが生まれた事を祝う大切な日です。
クリスマスイブとは前夜祭ですね。
皆さんはどういうクリスマス(イブ)をお過ごしでしょうか?
恋人と過ごすクリスマスでしょうか?
家族と過ごすクリスマスでしょうか?
仕事にあけくれるクリスマスでしょうか?
ちなみに俺は本当は恋人がいれば恋人と過ごしたいのですがw
今年は兄家族も夜に来ないので、姪や甥っ子達も来ずに、
家で、母親と二人で過ごすクリスマスイブです。
それぞれのクリスマス(イブ)が充実するように願ってます。
メリークリスマス。
それゆえに妥協できず、頑張りすぎて病気になる人が多いらしい。
大阪のカウンセラーの先生曰く、世の中完璧に過ごしてる人なんてごくわずからしい。
そういう人は何事も全部、○で治める。
でも世の中、完璧なことなんてない。人それぞれ悩みや不安を抱えながら生きている。
そこを見逃してはいけないと言われた。
世の中、全部が○じゃない。×や△の事だって色々ある。
それをどう受け入れるかで、パニック障害を乗り越えるきっかけにもなるらしい。
病気の人はどうしても○ばかりを探して一つでも×を見つけると落ち込む。
でもそうじゃない。○や△もあったんだ。っと納得できる自分がいないといけない。
何かに挑戦して失敗してもいい。失敗の中でもちょっとした成功があるはず。
それをつなげて自信を確立していかないといけない。
そうじゃないといつまでたっても、パニック障害にひっぱられるらしい。
そんな人生嫌だよね?
完璧主義な俺にとっては、わかっちゃいるんだけれども難しいよね。
眼球運動により不安や恐怖を取り除く方法を大阪のカウンセラーの人と取り組んだ。
先生が、手をチョキの形にして目の前でびゅんびゅんと振って
それを目で追うという作業を繰り返す。
感想としては、イメージ力を使って、不安を取り除こうという取り組みなんだけど、
なかなかイメージがわきにくいので、実際に効果として聞いているのかわからない。
先生いわく目で追っている時は、
ワイパーで悪い(怖い)イメージを払拭していく感じらしい。
もうちょっと回数を踏んでいくしかない。
EMDRはPTSD(Post Traumatic Stress Disorder: 外傷ストレス)に
使われていて、パニック障害の人たちにとっても注目されてる治療方法だ。
今の俺は藁にもすがる思いで何でも試しているつもりである。
/ 1/1PAGES /